ホームベーカリーのふたを開けると、こねる前は小さな塊だった生地が、数時間後には型いっぱいにふくらんでいます。何が起きているのか気になったことはありませんか。答えは単純です。生地の中でイーストが糖を分解し、炭酸ガスを出し続けているからです。ただ、それだけでは説明になりません。ガスを閉じ込める仕組みがなければ、生地はただ緩むだけで終わります。こねる段階から焼き上がりまで、時間を追って見ていくと、パンがふくらむ理由がつながって見えてきます。
こねはじめ:グルテンの網目ができる瞬間
こねる工程の役割は、小麦粉のタンパク質からグルテンという網目状の構造を作ることです。この網目がなければ、あとでイーストがガスを出しても生地は膨らみません。
小麦粉に水を加えると、グリアジンとグルテニンという二種類のタンパク質が水と結びつき、こねる力を受けて絡み合います。これがグルテンです。こね始めはべたついてまとまりがなかった生地が、こね続けるうちに表面がなめらかになり、指で伸ばすと薄い膜のように広がるようになります。この状態を「グルテン膜が張る」と表現します。
家庭でパン作りをする場合、こね時間は10分から15分程度が目安になることが多いです。手ごねなら、生地を台に叩きつけて折りたたむ動作を何度も繰り返します。腕が疲れてくる頃に、ようやく生地がつるりとした質感に変わってくる。この変化を感じ取れるかどうかが、うまく膨らむかどうかの分かれ目になります。
ここで迷いやすいのが「こねすぎ」です。こねが足りないとガスを保持できずぺたんこになりますが、こねすぎると逆にグルテンが切れて生地がだれてしまいます。機械ごねの場合は時間で管理しやすいものの、手ごねだと感覚に頼る部分が大きく、慣れるまでは判断が難しい工程です。
一次発酵:イーストが糖を食べてガスを出す時間
こね上がった生地を一定時間置くと、体積が2倍近くに膨らみます。これがイーストによるアルコール発酵の結果です。
イーストは生きた微生物で、小麦粉に含まれるでんぷんが分解されてできる糖分を栄養源にします。糖を取り込んだイーストは、炭酸ガスとアルコールを排出します。このガスが、こねる段階で作られたグルテンの網目に包まれて、小さな気泡としてとどまります。気泡が生地全体に広がることで、生地はふんわりと膨らんでいきます。
一次発酵の目安は室温や生地の量によって変わりますが、28度前後の環境で40分から1時間ほど置くケースが一般的です。ボウルにラップをかけて置いておくと、最初は表面が張っていた生地が、時間の経過とともに少しずつゆるみ、指で押すとゆっくり戻るくらいの弾力に変わってきます。この「指で押して穴が少し戻る」感触が、発酵が進んだサインとしてよく使われます。
気温が低い冬場は発酵が進みにくく、同じ1時間でも生地の膨らみが小さいことがあります。逆に夏場は発酵が早く進みすぎて、過発酵になり生地がだれることもあります。ここは季節によって時間を調整するしかなく、レシピ通りの時間を守ればいいというものではありません。発酵の見極めは、時計よりも生地の状態を見て判断するほうが確実です。
パンチとベンチタイム:ガスを抜いて生地を整える理由
一次発酵が終わった生地は、一度ガス抜きをしてから休ませます。膨らんだ生地をそのまま成形しないのには理由があります。
発酵が進むと、生地の中の気泡は大きさがばらばらになっています。大きな気泡が偏っていると、焼き上がったときに生地の断面に大きな穴が空いてしまい、食感がむらになります。そこで一度手のひらで生地を押さえて大きなガスを抜き、気泡を細かく均一に整え直します。この作業をパンチと呼びます。
パンチのあとは生地を分割し、丸め直してから10分から20分ほど休ませます。これがベンチタイムです。分割と丸め直しで縮んだグルテンの緊張をゆるめて、次の成形をしやすくする時間です。パン教室で生地を丸めた直後に成形しようとすると、生地が縮んで戻ってしまい、思うように伸びない経験をした人は多いはずです。ベンチタイムを省くと、この縮み戻りが起きやすくなります。
小ぶりな丸パンなど成形が単純なパンでは、ベンチタイムを短くしても大きな支障が出ないことがあります。一方で、バゲットのように生地を細長く伸ばす成形では、ベンチタイムを飛ばすとグルテンが硬く縮んだままで、思った長さまで伸ばせません。パンの形によって、この工程の重みが変わってくる点は覚えておいて損はありません。
二次発酵:成形後にもう一度膨らませる仕組み
成形を終えた生地は、型やオーブンの天板に乗せてもう一度発酵させます。ここでの目的は、成形でつぶれた気泡を作り直し、焼く直前の生地をふっくらさせることです。
成形の工程では、生地を丸めたり伸ばしたりする際にどうしてもガスが抜けます。二次発酵は、抜けたガスをイーストにもう一度作らせて、生地全体をふくらませ直す時間です。一次発酵よりも短く、30分から40分程度で済むことが多いですが、これは生地の量や温度、成形の仕方によって変わります。
食パン型に生地を入れて二次発酵をする場面を思い浮かべてみます。型の8割ほどまで生地が膨らんだら発酵完了の目安とされることが多いです。型からあふれるまで発酵させてしまうと、オーブンに入れたときにさらに膨らんで型からはみ出し、焼き上がりの形が崩れてしまいます。逆に発酵が足りないまま焼くと、生地が締まったままで、焼き上がりがずっしり重い仕上がりになります。
ここで迷いやすいのが、発酵時間を厳密に守るべきか、生地の状態を見て判断すべきかという点です。個人的には、時間はあくまで目安で、生地の膨らみ具合を見て判断するほうが失敗が少ないと感じます。同じレシピでも、室温やイーストの状態によって発酵の進み方は毎回微妙に違うからです。
焼成:オーブンで一気に膨らむ「窯伸び」の正体
オーブンに入れた生地は、焼き始めの数分でさらに一回り大きく膨らみます。この現象を窯伸びと呼びます。焼く前の膨らみとは別に、もうひと段階の膨張がここで起きています。
窯伸びが起きる理由は主に三つあります。ひとつは、生地の中の炭酸ガスとアルコールが熱によって気化し、体積が急激に増えること。もうひとつは、イーストが高温になるまでの短い間、活発にガスを出し続けること。三つ目は、生地に含まれる水分が水蒸気に変わり、生地を内側から押し広げることです。この三つが重なって、焼成開始から5分から10分ほどの間に生地は一気にふくらみます。
家庭用オーブンで食パンを焼くと、扉のガラス越しに生地がぐんぐん盛り上がっていく様子が見えることがあります。あの動きのほとんどは、窯伸びによるものです。ある程度まで膨らむと、生地の表面が焼き固まってこれ以上は広がらなくなり、そこから先は焼き色をつける工程に移ります。
ただし、二次発酵をさせすぎた生地は、窯伸びがほとんど起きません。イーストがすでに糖を使い果たしていたり、グルテンの網目が伸びきって弾力を失っていたりするためです。逆に二次発酵が足りない生地は、窯伸びで一気に膨らみすぎて表面が裂けることがあります。窯伸びの大きさは、それまでの工程がうまくいっていたかどうかを映す最後の答え合わせのようなものです。
